井之頭自然文化園はスタミナ太郎
今日はお弁当を作って井の頭自然文化園に動物を見にいきました。公園にはバスで移動したんですが、社内でめちゃくちゃ大人しく座っている娘に驚きました。つい1~2カ月くらい前は壮絶に駄々をこねてたのに、おませな感じになっていて、成長を感じます。
井の頭自然文化園には初めていったんですが、動物園あり、プチ遊園地あり、公園ありとスタミナ太郎感満載でした。最初はモルモットのふれあいコーナーに参加。娘は動物が大好きで、とにかくはしゃぎまくりでした。リスのコーナーでは、間近まで接近して、これまた娘ははしゃいでいました。リスがあんな間近にくるところって、初めてで驚きましたが、他の動物園とかにもあるんですかね?
園のスタッフさんは緑のジャンバーを着た方々で、背中にはボランティアの文字が入ってましたが、有志の方がやっていらっしゃるんでしょうか? ご年配の方が多かったように思います。娘はその方々にも毎回手を振っていました。礼儀正しいのかはわかりませんが、外面の良さは父親に似ですね。
帰りは電車で帰宅。電池が切れたようにずっと寝ていました。夕食のときはおそらく園の感想をしゃべっているんだと思いますが、いつもよりおしゃべりでした。
桃太郎で学ぶマネジメント論
娘への読み聞かせのために昔話の絵本のセットを買いました。その中で桃太郎について、思うことがあったので雑記を記します。
一応あらすじ紹介。
桃から生まれた桃太郎は犬猿雉とともに、悪さをする鬼を退治し、金銀財宝を手に入れ幸せになりました。めでたしめでたし。
というお話。いわゆる勧善懲悪の物語で、読んでてスカッとする話です。
桃太郎の高いカリスマ性
旅のお供になる犬・猿・雉。この3匹はきび団子を上げることで鬼退治に協力することになります。改めて読んで思ったんですが、正気じゃないですよね。悪さをする鬼は今までずっと野放しにされていました。その当時、国家があったかどうかは不明ですが、そうしたものからも逃れていたのですから、武力も兼ね備えていたと思います。
そうした背景があったかどうかは定かではありませんが、犬・猿・雉は、桃太郎に行先を聞き、鬼退治に行くことがわかると「お腰につけたきび団子をひとつくださいな。お供しますよ。」と答えます。前述しましたが、当時の鬼というのは恐ろしい存在だったはずです。さらに、桃太郎の実力なんて、その時点では犬・猿・雉にはわからないですから、死地に向かうことをきび団子ひとつで了承させ、犬・猿・雉側からお供を志願させてしまう桃太郎には、間違いなく高いカリスマ性があったと思います。まぁ、そもそも桃から生まれてるんですから、現代だったらバチカンから奇跡認定受けるレベルですしね。
犬・猿・雉が粋説
逆転の発想で、犬・猿・雉はもともと鬼退治に協力をしようとおもっていたが、タダだと桃太郎が遠慮してしまう。そこでわざわざきび団子をねだった。そうすることで、依頼人と請負人という共依存の関係性を強制的に作り上げ、桃太郎の心情に配慮したのではないか? そんなことまで考える犬・猿・雉が単純に粋だったんじゃないか? ということも考えられます。あだち充作品の登場人物かよ。
桃太郎流マネジメント
話は変わりますが、現在、ボクは20名くらいのチームの部長として、部下のマネジメントをしています。「部下のマネジメントをどうすればいいか?」 といった悩み相談を課長にされることもあります。
今回の桃太郎マネジメント論から改めて思わされたのは、きび団子ひとつ程度の報酬で仕事を納得させるには、この人についていこうと思われるようなカリスマ性や信頼関係がないと無理だということです。それができないのであれば、きび団子をもっと魅力的なものにするしかない。わりと単純なことなんですが、できない人が多いなーと思います。自分も含めて。
鬼退治という共通目標
さらにマネジメントには共通の目標設定が必要不可欠です。チームとしてどうしていくのか? というゴールを定め、そこに対して共通の意思をもって進んでいく。ゴールが同じなら、個々がスタンドアローンでも関係ないって考え方のマネジメントもありますが、今回の桃太郎と関連したいので、後者は省きます。
目標設定は今回の桃太郎でいうところの、「鬼退治」がそれにあたります。現代に鬼はいませんが、退治したい人はいたりもするので、そういった人に対しての敵対心も、共通の意思となりえます。あまり褒められたものではないと思いますが、そういった共通の意思(共感)が絆を深めることが多いにあります。
まとめ
昔から現代まで残っている作品には、本当にいろいろ考えさせられることが多いです。見る・読む年代によって考え方・捉え方も変わってくるので、今回の桃太郎も深い作品だなーと思いました。
アンパンマンさんへの罪の意識
娘のアンパンマン信仰ぶりはすごいものがあります。このくらいの子どもにとっては、アンパンマンという存在って、恐ろしくキャッチーな存在なんでしょうね。ボク自身も子供の頃、相当なアンパンマン狂だったらしいけど、30年以上たっても子どもへの影響力が変わっていないのは、もはや宗教。
娘は現在、祖母からプレゼントされたアンパンマン体操のDVDにどハマりしており、時間があれば「アンパンマーン」と言っておねだりしてくる。ねだる姿が可愛すぎて、ついつい観せてしまうのけど、罪の意識が生まれてしまう。。。
静かにさせるための道具と化したアンパンマンさん
保育園から帰って夕飯の支度をしてるとボクに抱っこや、絵本を読んでくれとせがんでくる娘。相手をしてやりたいけど、夕飯の準備に追われ、なかなか相手ができない時、アンパンマンさんのDVDに助けてもらっています。
その度、アンパンマンさんの偉大さを知る反面、相手をしてやれないことへの罪の意識があります。罪の意識はあるものの、結局はアンパンマンさんに頼ってしまう。時間に追われている時以外にも、泣き止まない時にも助けてもらっています。その度に罪悪感ががが、、、
育児に正解はないといいますが、それでもテレビやスマホに助けてもらうのは抵抗があります。
アンパンマンをとことん楽しむことにした
育児の本とかを読むと、だいたいテレビを観させすぎるのは良くないと書いています。観させる場合も、ただ観させるのではなく、話しかけてあげることが大事だそうです。なので、アンパンマンさんが出てきたときは「娘ちゃん!誰がでてきたの!?」とか、とにかく一緒に楽しむようにしています。
効果があるのかは正直わからないけど、一人で無言で観ているときよりも、ボクになにか話しかけてくることが多くなりました。アンパンマンさんが登場したとしも、ボクに気付かせるように叫んでくれます。
そのおかげなのかは知りませんが、娘の発音がとてもよくなりました。「アンパンジー」だったのが、いまではちゃんと「アンパンマン」と言えるようになりました。感情表現もより豊かになっていて、小さなことに感動してくれます。バイキンマンにいじめられて泣いているキャラがいれば、テレビに向かってヨシヨシするくらい、やさしくそだってくれています。
これからも、アンパンマンさんの助けを借りながら、娘と楽しくアンパンマンさんから学んでいきたいと思います。
保育ビジネスはリスクしかない
娘が通う保育園は、0歳児クラスが6人。園全体でも30人程度の保育園となっています。担当してくださる保育士さんは全員良い方ばかりで、家庭事情も理解してくれていて、とっても助かっています。娘も保育園に通うのが大好きで、行くときには前のめりで玄関で待機しています。迎えに行って帰宅する道中も、宇宙語で今日あった出来事を話してくれます。保育園がなかったら、よつばとのとーちゃんみたいに、自宅で仕事をするフリーランスになるしかなかったと思います。(スキルなんてないけど)
そんな中、世田谷で保育士の一斉退職というニュースがありました↓
求人広告会社に勤めていた時代、毎日2~3件の取材をこなしていく中で、保育園の取材もよくありました。上記のような企業主導型の保育園の取材で、企業の経営者にお話を聞いた際の言葉が印象的でした。
「保育事業はリスクしかない」
以外な一言でした。でも、言われてみて、そりゃそうだよなーと思いました。ここでいうリスクは2つ。
1、子どもを対象としたビジネス
2、少子化の背景
リスク1:子どもを対象としたビジネス
ビジネスにおいて、リスクが大きい領域と言われる医療、その次くらいに来るといっても過言ではないものが保育や介護、いわゆる直接的に人を対象としたビジネス。とくに子どもは、近年のパワハラなども含め、指導方法に対して、かなり厳しい目を向けられるようになりました。加えて、リスク2にもあげる少子化のため、子ども1人に対する価値観は、昔とは大きく変わっています。
そうした中で、BtoCビジネス領域の中では、クレーム、法令といったさまざまな事象が絡みビジネスの難しさを拡大させているということでした。
リスク2:少子化の背景
ビジネスにおいて、市場の成長性というのは今後の運営を行ううえで非常に大切なものです。しかし、昨今の日本の出生率は戦後最低を記録しつづけ、保育ビジネスの市場はかなり厳しい状況です。そうした背景があり、新たに保育園を運営するということは企業型保育園にとってはかなりのリスク。普通の経営者であれば、これ以上の投資は行わないのが普通です。
それでも運営・投資を続けるのはひとえに必要とされているからだと、インタビュイーの代表は話していました。そもそもの根幹として、自分の妻が保育園になかなか子どもを預けることができず、会社を退職したという背景もあり、そうした経験から保育事業を続けているということでした。
待機児童問題という大きな問題の背景には、ビジネスとしての魅力が薄いというリアルな背景もあるということをわからされたエピソード。そうした状況を踏まえた上で、現在働かれている素晴らしい保育士の方々の職場環境・条件面の改善を切に願うばかりです。そのためにも、企業側に対して、不正を起こされない補助制度が増えればいいなぁと、一市民として、無責任かつ身勝手に思います。
趣味の料理と義務の料理
もともとボクは趣味で料理をよく作っていました。それこそ、妻が生きている間は、土日にカレーをスパイスから作るなんていう、料理にハマッた人なら一度は夢見るであろうこともやっていました。そもそも料理にハマった理由は、病気で入院して3カ月ほど絶食になった際、食べれないストレスを料理動画を観て発散していました。そこから自分も作ってみたい! となったわけです。
↓そのとき観ていた動画。なぜかこのゆるい感じにすごいハマった
ここからかなりいろいろな動画をみたり、地上波では、MOCO’Sキッチンからのキューピー3分クッキング&上沼恵美子のおしゃべりクッキングと、一日中料理動画をみていたと思います。
退院してからも、すぐに仕事に復帰することができなかったため、妻の弁当を作ったり、夜ご飯を作っていたりと、本格的に料理をするようになりました。現在でもそのとき培った料理スキルは生きていて、やっててよかったー、と今の状況になって改めて思います。
趣味の料理から義務の料理へ
当たり前だけど、妻がいなくなってからは毎日料理を作っています。平日は朝と晩。休日は朝昼晩の3食+おやつ。趣味の料理はガッツリ時間をかけてつくっていたけど、義務になってからは、とにかく効率重視になったこと。平日は15分~長くても25分以内に終わるように心がけています。「料理の時間=娘に構ってあげられない時間」になってしまうので、その辺はすごく意識しています。
1年以上つづけてるけど、最近は完了期を迎え、ほぼボクと同じものが食べれるようになったこともあり、途中まで同じ工程で料理が作れるのでめちゃくちゃ楽になりました。思い返すと、生後半年くらいのときは、裏ごししたり、めちゃめちゃ茹で時間に時間がかかったりと、大変だったなーと。
休日くらいは手の込んだものを作ろうと、昼寝をしている15時くらいから料理の下ごしらえをして、ちょっぴり豪勢な食事を意識。喜んで食べてくれることもあれば、まずそうに食べることもあります。娘は食べ物の好き嫌いはないですが(まだないだけ?)、好物とそうでないものの差がはっきりしているので、気合をいれて作ったものが無言だと、わりとショックです。。。笑 ボク自身、母親にろくにうまいとかいってこなかったので、本当に申し訳ない気持ちになりました。親の心子知らずですね。感謝の言葉は大事。娘から学ぶ日々。